陸上競技を通じた3年間の成長

今年度、中国大会はもとよりインターハイ、国体に出場するという活躍をみせた陸上競技部。やり投げ選手として活躍した石田幸太郎君と顧問の矢吹先生に、部活動を通した成長を語り合ってもらいました。

やり投げのコーチングゾーンで石田君と話す矢吹先生

 

-入部のきっかけから教えてください。

 

矢吹 入学式で彼を見て、体格が良くて競技向きと思い声をかけました。

石田 陸上競技は走るイメージしかなくて嫌だったんですが、投げる種目ならできるかもしれない、という単純なきっかけです。ただ、実際始めてみたら、思った以上に難しくて。砲丸投げから始めたのですが、今なら10mは投げられるのが、当時は6m台でした。

矢吹 とはいえ、1年生の7月に国体予選の砲丸投げで、10人中でしたが8位に入賞。いきなり入賞だったので、これはいけるかもしれないと思いました。彼のすごいところは、すぐ他の選手と仲良くなるところ。積極的で、物怖じしない性格も投擲向きだなと思いました。

石田 1年生の時は円盤投げもやっていましたが、投擲の中で一番軽く、中学の時にやっていた野球に少し動きが似ていることにも惹かれてやり投げを始めました。でも、当時はあんまり練習に行っていなかったんです。

入部したばかりの1年生の5月。岡山県高校総体陸上競技大会にて

 
 
-全国を意識し始めたのはいつ頃ですか?
 
 

矢吹 2年の4月、5月の大会では目を見張るような記録は出ませんでした。

石田 それで、中国大会にいけなかったら坊主頭になる、という自分ルールを作りました。岡山開催だったので、どうしても出たいと思ってたんです。高1の時と比べたら練習に行くようになったし、海外選手の動画を見たり、ウエイトトレーニングの回数も増えました。結果、県総体で50.65mを投げ、6位でギリギリ中国大会に出場できました。8月の終わりに県大会で3位、初めて表彰台に乗りました。この時の記録、51.75mは忘れません。

矢吹 8月には国体の選抜合宿に選ばれました。ふりかえると、その時から彼の周りで少しずつ歯車が動き始めたのかなと思います。

石田 僕も、国体合宿で教えてもらってから変わりはじめたと思います。知識も増えたし、試合が終わったら専門の先生に相談をしに行ったりするようにもなりました。

 

-一つ階段を上ったという感じですか?

 

石田 少しずつ、成長して違う世界が見え始めました。以前は表彰台に上るのはすごいことと思っていたけれど、今は表彰台に登らないと恥ずかしい。50m投げて喜んでいた自分がいたけれど、今は、50mはしょぼい、と思います。

矢吹 殻を破るとそれが当たり前になってくるんだよね。ある日50mを投げたら、それが当たり前になってくる。周りからもすごいなと思われるようになったり、選抜合宿に参加したり。2年生の間にすごく世界が開けたんだと思います。当時、石田くんが「強くなったらいろんな人と話ができるようになりますね」と言ったのをよく覚えています。

石田 昔は、玉野光南高校はスポーツの強豪校で自分とは違う世界と思っていたけれど、今は玉野光南の後輩からも挨拶されるようになった。そして教える立場にもなりました。ちゃんと一つ一つ積み重ねていけば何かが変わる、そう実感しています。

矢吹 それがスポーツの力ですよね。

2年生8月の岡山県高等学校陸上競技選手権大会で表彰台に上った石田くん(一番右)

 

-何かきっかっけがあったのでしょうか?

 

矢吹 一番の契機になったのは、2年生9月の新人戦ですね。6月に中国大会にでて、8月の県大会で学年の最上位に入って、新人戦では優勝すると公言してたんです。でも、やり投げは難しくて、投げようとすると投げられなくなる。結果4位で中国大会も行けず、落ち込んでいました。僕も悔しかったけれど、後から考えるとあれがあったから次に繋がったんだと思います。

石田 史上最高に悔しかったです。トップとって終わった方がかっこいいと思ってたし、宣言してたのに優勝台に上がれなかったのが悔しかった。それで、朝練をするようになりました。7時40分に学校に来てウエイトトレーニング。冬はすごい寒いんですけど。後輩と2人で毎日続けました。それがインターハイに繋がったんだと思っています。

矢吹 競技に対する意識が変わりましたね。部活に来る、来ないからスタートしたのが、ウエイトトレーニングだけじゃなくストレッチも大事、と広い視野が持てるようになったのが2年生の時でした。

岡山県チームのユニフォームに身を包み、壮行会で全校生徒に意気込みを語った

 

-インターハイ、国体の結果は?

 

石田 インターハイの1週間ぐらい前に肉離れを起こして、全く練習できなかったんです。前日練習でも調子が上がらなくて不安を抱えたまま、それでも投げられるかな、と思ったけど…やっぱりダメでした。初の全国舞台で緊張したこともありましたけど、自分が思った投擲ができなかったのが悔しかった。初めてのインターハイでこんなんでいいのかなと…。

矢吹 全国大会は独特の雰囲気があります。ましてや国体は県同士の戦いです。

石田 国体にはトレーナーや鍼の専門家、投擲専門の先生も一緒に行きます。前日に筋肉の様子を見て身体を整えてもらったり、万全の状態を作っていく。岡山代表として試合に出場するというのは、それまでとは全然違う経験でした。

矢吹 岡山で1位でも、記録が県標準に届いていなかったら国体に行けるとは限らない。いろんな要素を検討されて選ばれる国体選手は、特別な存在です。

石田 そうして選ばれたので結果出さないとやばいな、と思ってました。試合前の練習では60m少し投げて、久しぶりにいい感覚があったんですけど、いざ投げようと思うと怖い。変な緊張感に襲われて足が動かなくなりました。

矢吹 高校生は、場数もあるけれどメンタルが結果に直結します。気負いすぎると記録が出ない。

石田 中国大会前に担任の大森先生から、周りのことは気にするな「自分の中に入れ」というアドバイスをもらいました。それを心がけていたんですが、入りすぎちゃったのか、自分を保つことができませんでした。3位に入った中国大会は、体もむっちゃ動いて、すごく良かったんですけどね…。不思議です。

 

-最後に、卒業後の展望を教えてください

 

石田 進学を決めたのは高3の春です。それまでは就職を考えていましたが、まだ陸上をやりたい、ここでは終われないと思って。矢吹先生の母校でもある、大阪体育大学に進学します。大学なのでもちろん勉強も頑張りながら、学んだことを陸上に生かして、卒業するまでには県記録の78mを超えたいと思っています。それから、もう1回国体に出たいですね。

矢吹 僕は国体には大学の時2回行ったけどね。日本ジュニアもでた。

石田 すごいですね!初めて知りました。そしたら僕は国体3回と日本ジュニア優勝かな…矢吹先生も超えたいです。あとは、大阪体育大学の新入生の中ではトップに入りたいです。

矢吹 インターハイや国体選手も入る大学なので、まず同年代のなかで勝ち上がらなければならないですし、先輩もいます。石田君は入学した時と比べたら、いろんなところで成長しました。挫折もありました、全国大会では思うような記録が出ていない。そういうこともバネにしながら頑張ってほしい。和気閑谷高校での経験を土台に、さらに飛躍してほしいと願っています。